ニューヨーク生活とロイ・ハーグローヴ
日本は本当にたのしかった。忙しかったにも関わらず精神的にリラックスしたみたいで、ニューヨークに戻って来てからは体調を崩したせいもあり、元の生活ペースに2週間ほど戻れなかった。日本の食料品調達にこんなに不便で、シャンプー剤や服を買いに行っても髪質に合うものやサイズが限られ、すべてのサービスが悪く汚い街ニューヨークに、今までよく3年半も、たったの一度も不便を感じないで住めていたなあとあらためて思う。それだけ私は音楽に集中していたのだ。そしてすばらしい日本を後にしてこんな所にまた2年以上も住もうと思うには、それなりの理由がある。
ジャズだ。
私がなぜジャズ好きになったのかはよくわからないけども、ひとつ言えるのは、音楽、特にアメリカのジャズのエネルギーには「生きている」ことを感じさせられる。以前父が急逝したことに触れたが、人間の死を18才で意識した私には、もしかすると生にしがみついてしまう傾向が潜在的にあるのかもしれない。
私のニューヨーク(NY)でのジャズ生活にロイ・ハーグローヴは切って離せない存在だ。今でも彼は、私の中で音楽の神のような存在だ。はじめて出会ったのは、今はもうないSweet Rhythmのジャムセッション。毎週木曜の夜11時から2時頃までやっていて、ツアーに出ていないときはロイは必ずここに来ていた。ピアニストがたくさんいると1曲しか弾けないことも多かったけど、NYに来たばかりの私にはミュージシャンと知り合うのにとても便利な場所で、ロイに関しては有名な人なのになんて気さくで親切な人だろうと思っていた。
ところが、私が学生生活や外国人生活を終えて一旦NYのお店で働きはじめると突然厳しくなった。基本的に、曲を知らない=お話にならない=つめたい空気になる。曲をその場で教えてくれる場合も2コーラス以内に覚えなければ見捨てられ、ピアニストには多くの音楽的能力を要求される。Gerald Claytonはまだ30才にもなっていないのに、グラミー賞にノミネートされたアーティストとしてだけでなくサイドマンとしても優れたピアニストだと今さらながら尊敬する。
Zinc Barでは飛び入り演奏できるが、飛び入る人がロバートグラスパーとかジェラルド、ヘレンサン、エリックルイスなど、キャリアのあるミュージシャンばかりなのできびきびした空気がある。誰と演奏してもロイの演奏はすごいけども、キャリアの高い人達と演奏するロイはひと際凄く、とてもたのしそうだ。SmallsやZinc Barにはチャージなしで入れてもらえるので、ドリンク代だけでロイの音楽を聴いて、一緒に演奏して音楽を教えてもらえる。日本に居た頃から考えると夢のような話だが、現実にそれがいつでもあると「ローマは1日にして成らず」を痛感してつらい。以前Zinc Barでロイの前で私が知らなかったバラード(→ものすごく悪い思い出の曲)を、1年半も経った先日、同じZinc Barで「この曲弾ける?このキー(調)で」と同じキーでコールされた。さらっていたので弾けてほっとしたがあまりの同じ状況に「まさか偶然やんね?」とふと思った。世界中をツアーして毎晩いろんな人と演奏しているのに、いちいちある晩ある店で私が知らなかった曲(知らなかった曲はほかの店でも彼にたくさん露呈している)を覚えていたとしたら、神がかった記憶だ。
ところがダントンに「それはわざとだ。ロイは音楽に関することは何でもよく覚えているんだ」と言われた。そんなあほな!!しかしウィリーの答えも同じだった。しかもちょっと「お気の毒に」的な「後輩よ、そういうことはよくあるから修羅場をがんばってくぐっていけよ。これはまだまだ試練の基本編だよ」的な空気を感じた。
今の時点で彼から教わった曲は軽く70曲は超えている。曲を1, 2回を聴いただけでピアノで何もかも示せるほどサウンドを明確に覚えられるロイの脳内iTunesに、今からどんなに練習しても一生かかったって近付くわけがない。ロイはスーパースターの自覚はあるようだが天才という自覚がまるでない。
私のCD「Beyond Intersection」で演奏してくれているアントニオ・ハートもウィリー・ジョーンズもダントン・ボラーも、偶然それぞれ別々の時期にロイのバンドメンバーとして仕事をしてきた。彼らはロイの才能をとても尊敬している。そして結局のところ、私もロイを尊敬し音楽についていろいろ教えてくれてとても感謝している。彼は音楽に対してエゴや言い訳がなく、いつ誰とどこで演奏しても、神がかった演奏を聴かせてくれる。そういう彼の音楽への愛と姿勢が、人気の秘密なのだと思う。
ロイ・ハーグロヴさま。
これから先生きているあいだに、あなたの脳内iTunesリストの1曲でも多くを消化できるよう、私にできることをがんばります。でも生きているうちに全部消化するのはとても無理そうなので、今自分がもっているものを大事にして、自分のオリジナル曲も併行して作っていこうと思います。
2009年10月 @Fat Cat

いつどの瞬間を不意に撮られてもスターのロイ。

ジャズだ。
私がなぜジャズ好きになったのかはよくわからないけども、ひとつ言えるのは、音楽、特にアメリカのジャズのエネルギーには「生きている」ことを感じさせられる。以前父が急逝したことに触れたが、人間の死を18才で意識した私には、もしかすると生にしがみついてしまう傾向が潜在的にあるのかもしれない。
私のニューヨーク(NY)でのジャズ生活にロイ・ハーグローヴは切って離せない存在だ。今でも彼は、私の中で音楽の神のような存在だ。はじめて出会ったのは、今はもうないSweet Rhythmのジャムセッション。毎週木曜の夜11時から2時頃までやっていて、ツアーに出ていないときはロイは必ずここに来ていた。ピアニストがたくさんいると1曲しか弾けないことも多かったけど、NYに来たばかりの私にはミュージシャンと知り合うのにとても便利な場所で、ロイに関しては有名な人なのになんて気さくで親切な人だろうと思っていた。
2009年1月 @Sweet Rhythm
Zinc Barでは飛び入り演奏できるが、飛び入る人がロバートグラスパーとかジェラルド、ヘレンサン、エリックルイスなど、キャリアのあるミュージシャンばかりなのできびきびした空気がある。誰と演奏してもロイの演奏はすごいけども、キャリアの高い人達と演奏するロイはひと際凄く、とてもたのしそうだ。SmallsやZinc Barにはチャージなしで入れてもらえるので、ドリンク代だけでロイの音楽を聴いて、一緒に演奏して音楽を教えてもらえる。日本に居た頃から考えると夢のような話だが、現実にそれがいつでもあると「ローマは1日にして成らず」を痛感してつらい。以前Zinc Barでロイの前で私が知らなかったバラード(→ものすごく悪い思い出の曲)を、1年半も経った先日、同じZinc Barで「この曲弾ける?このキー(調)で」と同じキーでコールされた。さらっていたので弾けてほっとしたがあまりの同じ状況に「まさか偶然やんね?」とふと思った。世界中をツアーして毎晩いろんな人と演奏しているのに、いちいちある晩ある店で私が知らなかった曲(知らなかった曲はほかの店でも彼にたくさん露呈している)を覚えていたとしたら、神がかった記憶だ。
ところがダントンに「それはわざとだ。ロイは音楽に関することは何でもよく覚えているんだ」と言われた。そんなあほな!!しかしウィリーの答えも同じだった。しかもちょっと「お気の毒に」的な「後輩よ、そういうことはよくあるから修羅場をがんばってくぐっていけよ。これはまだまだ試練の基本編だよ」的な空気を感じた。
今の時点で彼から教わった曲は軽く70曲は超えている。曲を1, 2回を聴いただけでピアノで何もかも示せるほどサウンドを明確に覚えられるロイの脳内iTunesに、今からどんなに練習しても一生かかったって近付くわけがない。ロイはスーパースターの自覚はあるようだが天才という自覚がまるでない。
私のCD「Beyond Intersection」で演奏してくれているアントニオ・ハートもウィリー・ジョーンズもダントン・ボラーも、偶然それぞれ別々の時期にロイのバンドメンバーとして仕事をしてきた。彼らはロイの才能をとても尊敬している。そして結局のところ、私もロイを尊敬し音楽についていろいろ教えてくれてとても感謝している。彼は音楽に対してエゴや言い訳がなく、いつ誰とどこで演奏しても、神がかった演奏を聴かせてくれる。そういう彼の音楽への愛と姿勢が、人気の秘密なのだと思う。
ロイ・ハーグロヴさま。
これから先生きているあいだに、あなたの脳内iTunesリストの1曲でも多くを消化できるよう、私にできることをがんばります。でも生きているうちに全部消化するのはとても無理そうなので、今自分がもっているものを大事にして、自分のオリジナル曲も併行して作っていこうと思います。
2009年10月 @Fat Cat

いつどの瞬間を不意に撮られてもスターのロイ。

[END]
by katsukotanaka
| 2011-08-11 14:24
| ★NYの生活事情(2008-)