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1年振りに、ニューヨークの同じお店でリーダーバンドをやります。

2012年6月14日(木)

JAZZ AT KITANO 〜NEW YORK〜

STACY DILLARD (tenor and soprano saxophone)
KATSUKO TANAKA (piano)
DANTON BOLLER (bass)
WILLIE JONES III (drums)



う〜ん、いい感じですね〜
何やろっかな〜
めちゃくちゃたのしみです。
録音してからもう2年も経ってるので、同じリズムセクションでも演奏はだいぶかわってると思います。いや、かわっててくれないと、困ります。

サックスのステイシー・ディラードは、ニューヨークのジャズシーンでとても面白い立場です。若手グループから引っぱりだこのサックスでもあり、エリック・リードやサイラス・チェスナット、オリン・エバンスといったベテラン世代にも人気。個性派のフランクレイシーやミンガス・ビッグバンドでも頻繁に演奏し、ファンがとても多い自分のバンドをいくつか持っています。ウィリーもそうだけども、引っぱりだこの人って逆に、自分の音楽への姿勢や考え方が周囲に絶対流されない、曲げない、疑わない、という良い意味で頑固なところがありますね。ステイシーとはぜひ今後も一緒に演奏していきたいので、オリジナルをやってもらえるのをとてもたのしみにしてます。それでこの強力なリズムセクションだったら、面白い音楽にしかなり得ないでしょう。

キタノは現在ホテルの2階にジャズクラブがありますが、ニューヨークの看板的存在となるジャズクラブとして5月にリニューアルオープン。オープニングには、秋吉敏子さんが数日間演奏されるそうです。



それとは関係ないですが、たまにミッドタウンのHillstoneというところで、ドラムのJaimeo Brown(ジャメイオ・ブラウン)のトリオで演奏しています。ジャメイオのグループで何回か演奏していますが、毎回もれなく、たのしいんですよね。とてもクリエイティブで、このギグの日は本当にNYに住む有り難み感じます。大好きなベースのJoe Sandersからの紹介のJaimeo。。。。やっぱり、アパート探しにしても録音スタジオ探しにしてもエンジニア探しにしてもミュージシャン探しにしても、推薦ってまちがいないわ。。。とつくづく思う今日この頃。










今年のニューヨークの冬は、ほんとうに暖かかったです。
雪の日用のブーツも、3回しか履きませんでした。

昨年は6月中旬の学期末コンサートの仕事の翌日すぐ日本で帰国ライブを2週間して、7月あたまにNYにもどってきたら、予算の都合でその学校の伴奏の仕事はごっそりなくなっていました。その上、伴奏の仕事は時給そのものが7ドル下がると。

途方に暮れていると別の学校で週2日契約の伴奏の仕事を紹介してもらえ、元々の学校で週2日ピアノを教えて、なんとか定収入が確保できました。別の学校の伴奏も週1回定期的に通いはじめたのですが、年末を実家で過ごして年明けNYに戻ってきたらなくっていました。

そんな感じです。

しかし意外にも、教える仕事からはお金以外のメリットがたくさんあります。
1つには、すばらしい同僚達がいて、演奏者としても音楽教育の面でも有意義な意見交換が積極的にでき自分が成長できることです。

私が今はたらいている学校は2校とも黒人/ヒスパニック系のコミュニティーです。はじめは生徒の出席率があまりに悪いことが悩みでした。日本人とちがって、天気が悪いからなんとなく休むとか、3ヶ月経っても楽譜を買ってこないとか、家庭が複雑とか、レッスン以前の段階でつまづいていました。しかし今は生徒の定着率・出席率共にとてもよくストレスフリーです。
それにはちょっとしたコツがあったのです。それは、あきらめと効率です。

私は子供の頃1日3時間練習し、高校へ行く頃には(後で知ったことですが)もう音大の大学院生がやるような難曲を弾いていました。小学校1年の時からセンスがあって上手な同い年の友達と同じ先生に習っていて、同じ曲を弾いてもうっとりするような彼女のピアノを聴く度に私は憧れと遅れをいつも感じていたので、その練習量は「普通」なのだと思っていました。しかし今の生徒は練習しません。また良くも悪くも他人がどう弾こうが自分が最高、ブラボーと思う文化。なので毎日の練習のモチベーションを保つために与える課題を効率的に超スリム化しています。時間をかけて反復練習した人にくらべると無意識にできるほど1つの技術が完全に体に刷り込まれないので、次の曲(新しい課題)にかかる時の運動能力と脳のスピードがかなり必要になります。そこは妥協しません。ニューヨークという土地柄、いつでもどのジャンルの音楽にも進めるようにしておくのもモチベーションを保つひとつです。こうして生徒達はそれぞれが積極的になり始め、半年で全員レパートリーが増えてきました。
日本人とちがって「やらなければいけないから」「がまんして」練習するという感覚が一切なく、そのかわり面白いと自発的に練習してきます。ピアノが生活の一部になったら、与える課題(=家での練習量)を増やします。こうして毎日何か小さいことを達成することが習慣になると、集中力が養われてきます。今ではすっかり文化に溶け込んで家族と垣根のないコミュニケーションができているように感じ、黒人が多いジャズの世界で働くにあたってとても役立っています。


ニューヨークでうまいなあと思うジャズミュージシャン達は、音楽に関しては、異様に高度な集中力と運動能力、そしてセンスのある天才の集まりのように感じられます。若い頃から毎日経験の豊富な人達と現場で演奏してきたからでしょう。音楽以外にもその集中力を使うことがあるのか、それともそのほかのことはぼーっとしてマイナスまでリラックスしているのか、その辺はわかりませんが。。。。
どのくらいやっていかないと極みではないというレベルをクラシックピアノの世界ですでに体験している私は、アメリカ人ミュージシャン達とやっていくにあたって、まだまだツメがあまいなあ、と頭もお腹も痛くなってしまいます。自分最高ブラボーと謙虚の、ちょうど真ん中くらいの心持ちがいいんでしょうね。


もう一度初心にもどって、気分を新たにいろんなライブを観に行って吸収したり、良い音楽を家で聴いたり、夜な夜なセッションで弾いたりしている今日この頃です。
そして、3年近く住んだマンハッタンのワシントン・ハイツから、この4月はブルックリンに引っ越します。






みなさん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

年末に急に思い立ち、12/27から大阪の実家に帰っていました。夏はほぼ毎日仕事だったので、今回は家族と過ごすために実質4日と一晩という、ケータイも持たない短い滞在でした。昔東京に住んでいたときは「実家に帰ったってする事も居場所もない」と思っていましたがそれは同じ国内だからで、今は母とデパ地下を歩き各地の名産品を見ているだけでも充分たのしいのです。年末年始は妹夫婦も一緒に毎日美味しいもの食べてきました。家族っていいですね★☆★


昨年度は、日本でたくさんの方々にライブにお越し頂いてありがとうございました。とてもたのしかったです。3/11の震災を境に日本はいろんな意味で大きく変わっていくのだと思いますが、意外と人は癒しよりも「希望」や「元気」そして「絆」を求めているのだなあと実感しました。

振り返ってみると、2010年と2011年の2年間はとにかくニューヨークで生活していくための仕事環境を整えることで精一杯でした。雇用が安定しないアメリカでは仕事の入れ替わりが激しく、その流れに乗るまで(乗るために?)「ニューヨーク流の」コミュニケーション方法にかなりエネルギーを消耗します。毎日アメリカ人と仕事するにあたって「英語で話すときはアメリカ人の常識で会話する」ようになりました。こうして日本人の常識や期待を捨ててしまえばアメリカ人に素早く対処できて楽です。圧倒的に英語の時間が多いですから、ほんのすこしでも大阪に帰ってバランスとれた私にリセットできてとてもよかったです。3日からはニューヨークで仕事。天気予報は最高気温がマイナス1.6℃、冬のつめたい風に吹かれていると2007年にニューヨークに到着した日がなつかしくて新鮮な気持ちです。不思議とマンハッタンのアパートに戻っても、堺のマンションに戻っても、同じくらい「帰って来た」と思えます。もうニューヨークも4年目が過ぎました。


今年は私のデビューCD「Beyond Intersection」で演奏してくれているメンバー、Antonio Hart, Willie Jones III, Danton BollerとでニューヨークでのCDリリースライブをやりたいと思っています。
そろそろその時期だと思います。前述のとおり、過去2年は毎日の生活で精一杯で自分がプロデュースする大きいプロジェクトを準備する余裕がなかった。もう1つは、レコーディングの日はカルテットでたった1曲、しかも2テイクしか録らなかったのですが、心地よい緊張感の中でリラックスしてものすごく集中力を使った。だからひと晩に1時間を2セットもやるときっと集中力が持続しないだろうと思いました。今ならもっと余裕をもって全体がみれるので、今年中にはぜひやりたいと思っています。

またご報告をたのしみにしていてくださいね。


それでは皆さん、よいお年を!


たなかかつこ






加湿器を買った。質の良い睡眠が摂れるようになって快適。ついでに素敵な布や間接照明用のランプを買って、視覚的にも部屋の居心地がよくなった。また来るあの寒い冬に備えている。


2007年の秋にクイーンズ大学院のジャズ科のオーディションを受けに来て4年になる。あのときは、関西で少しずつ固まって来た生活スタイルをあきらめて、この年でまた新しい場所に引っ越すべきかどうか相当迷ったが、今振り返れば来てよかったと思う。

ニューヨークでは、いろんな人と働く機会がある。ピアノの仕事の幅が広く人数も多い。最近気づいたことは、相手がその分野に関して自分と同じかそれ以上の情熱をもっている芸達者なプロであれば、初対面の日から仕事がたのしくサクサク進むという法則だ。芸事に賭けるストイックさや生活の優先順位が同じで、互いにはじめから同じ目標に集中でき自然によい結果が出る。これまでニューヨークの業界で長く生活して来た人と同じ土俵で働いていると、なんというか、直感がどんどん鍛えられ研ぎ澄まされていく感じがする。

その人達の芸に一瞬触れただけで「なんかわからんけどかっこいい!」とピン!と感じる。瞬発力や集中力がモノをいう本番の一発の仕事だからか、気さくな普段の感じとステージの上のオーラの差がおもしろい。私の感性を活性化し、その人ともっとたくさん働きたいと思わせる。自分はどんなピアノを弾けばもっと良くなるだろう?と考え、調べ、練習することになる。

そんな人達と仕事したり、話したりセッションできる日常が、今はニューヨークに住む魅力だ。長く生活していくと足を掬われる事件は次々と起こるが、それらをうまく乗り越えたり事前に回避できるようになればいいな、と思う。アメリカでは景気が悪くなるとどんなにがんばっていてもあっさりとクビを切られ、誰もが不安定な生活に脅かされている。医療・保険制度も不条理でサイアクだ。外国人として生活していくのは大変だし、女性がニューヨークで競争の激しいこの業界でやっていくのもいろいろとメンドクサイことが多い。そのマイナス面をわかった上で覚悟して(=それらの不便を経験した上でまだ)ニューヨークに住んでいる。意外と今の年齢だから現実を受け入れて、ここでの生活を選び続けられているように思う。


クイーンズ大学院でお世話になったすばらしいトランペット兼アレンジャー兼大学教授でもあるMichael Mossmanに最近出したメールの最後に「日々、ニューヨーカーになってきた気分です」と書いたら、返事のついでに「もし君がそう感じるなら、君はもうニューヨーカーだよ」とあった。
学生の頃、師匠ケイ赤城さんにジャズをはじめたいと相談したところ「アメリカでジャズミュージシャンになりたければ、アメリカ人として生きる覚悟でなければまず無理だ」と言われたことをふと思い出し、すこし笑えた。







ニューヨークに来て、毎年10月は似たようなことをやっている。

アメリカでは新学期が9月にはじまるので、10月はちょうど列車がレールを走り始める感じで慌ただしい。大学院に行っていた2度の10月もそうだったし、学校での仕事をはじめたので卒業後の去年からも同じだ。11月末の週末は感謝祭で金、土、日と休みだけど、それ以外は一気にクリスマス休暇まで行く、というパターンだ。アメリカは日本とちがって祝日が少ないので「ひと休み」がない。

もうひとつ、ニューヨークに来た年から私はウィリー・ジョーンズ・IIIのプロジェクトの楽譜を手伝っていて、その依頼がなぜかいつも10月だ。これは彼自身のプロジェクトや彼がプロデュースするアーティストのレコーディングに使う曲を、音源から聴き取ってフィナーレというソフトを使って各楽器のための楽譜にするまでの仕事で、大体トランペット、テナーサックス、たまにそれにトロンボーンやビブラフォンが入っている編成の曲が多い(そういえば第1回目はアース・ウィンド・&ファイアの曲だったなー。人のバンドの譜面なだけにかなり神経を使う。まずは音源を精確に聴き取り、楽譜を読んだ人がそのサウンドを弾ける/吹けるように正確なコードネームを付けなければいけない。120%がんばったにも関わらず、去年はある曲でロイさまに「ここのコードはこうやと思うよ」と直されたそうだ。私が居ない場所ですらもロイさまにダメ出しされてがっかりすると同時にくやしい。ライブを観に行って思い通りのサウンドが1回目でちゃんと鳴っていると、ほっとする。

「精確に聴き取る」というのは、良い勉強かつ良い癖づけだ。ピアニストは、誰が何をやっているか指揮者のようにすべて細かく覚えているべきだと思う。そう曲を把握する癖をつけておくと、アレンジ力が自然に身に付くし、2管や3管編成の曲をピアノトリオや極端に言えばピアノソロで弾くときにもとても役立つ。

この年になってもまだまだ耳や音楽の感覚をこんなに鍛えないといけないとは、おそるべしだ。3歳からヤマハ音楽教室に通って音大では卒業演奏会に抜擢され、アメリカの大学では奨学金もたくさんもらったのに、今ほど音楽を貪欲に吸収している時期はないと思う。絶対音感はときどき便利なだけでほとんど役立たないし、それに頼っているといつまでも応用がきかず壁が超えられない。一体、ジャズに関してどれだけ磨くべき技術があるのかと思う。が、こうして自分の耳と感覚を鍛えて有用なボキャブラリーを増やす過程は結構たのしい。ボキャブラリーが豊富なほど、また、そのうまい使い方を知っているほど楽になることを承知しているからだ。英語で一度成功体験を積んだので、ジャズも同じプロセスを辿っていることがわかる。何ごとも「遅い」ということはないと思っている。年を取るとこわいことは、何かあたらしいことができなくなることではなく、できないと正当化し言い訳に甘んじてそこから抜ける勇気が持てないことだ、と思う今日この頃です。若い人や子供にも言えることですが。

ああ〜、すっかりニューヨークモードです。

p.s 私がこの夏何度もお世話になった5番街にあるアップルのお店がココ↓。24時間365日営業しています。修理はネットで時間予約し、混雑した店内に配置された複数の係員が、iPadでネット上にある同じリストを使って次の顧客を呼び出します。

(写真はApple社のHPより拝借)

お店の外観、「お客様修理カウンター」ではなく「Genius Bar(ジニアス・バー)」というネーミングにした発想、そしてサービスの社内基準に斬新さを感じました。最終製品のイメージが明確にあり、何を目指して何を妥協しないか、そのためのコストダウンはどこで計るか、というスティーブ・ジョブズ氏の姿勢がお店に来て5分以内に感じられました。

米国でCD店がほぼ完全に消えてしまったのはちょっとさびしいですが、たった56年の生涯で世界中の人々の生活を大きく前進させたスティーブ・ジョブズ氏に敬意を表します。



ハリケーンアイリーンはニュージャージーに逸れ、私の家にはなんの影響もなく通過しました。うちは坂の上の高台でしかも6階なので雨漏りに注意する程度。樹が倒れてきても心配はなく、溝がなくて水はけの悪いマンハッタンですが何もなかったです。キャンドル、ライター、ラジオ、懐中電灯の電池は売り切れていたけども暗いステージで楽譜をみるためのライトもあったし、お水や食べ物もたくさん用意して、準備万端でぐっすり眠れました。ハリケーンが去った後のニューヨークはめっきり涼しくなりました。


9月の新学期にむけて、伴奏の仕事は来年度から時給が7ドルさがると学校から一方的な通達をうけ、先月同意書を手渡されました。納得行かないですが、私はじゃあ伴奏の仕事はやめてこれまでの時給のままの方の、教える仕事を増やします、と伝え、クラシックだけでなくジャズの生徒も取ることにしました。その考え方がとても日本人的なのですが、アメリカ人の同僚ネルソンは「時給が下がるのは納得がいかない!」とミーティングを開き、学長代理と会計係のそれぞれに、具体的に数字を出した3つの代替案を提示して、ボーカルクラスの伴奏を元の時給に戻させることに成功しました。まず学校の判断が間違っていること、次に何が生徒の教育上の一番の利益で、ひいては学校の利益となるか、最後に学校がお金を失わずにそれを最大限に保つ(そして私達ピアニストに昨年度と同じ時給を紡ぎだす)にはどうすればよいかに焦点をあてて、私達はこの学校が好きで組織改革を成功させたい気持ちは同じだ!我々チーム(学校+雇用者)は、同じ方向に向かっている!ということを混ぜながら、うまくプレゼンしていました。英語が話せても、私のコミュニケーション能力ではまったくダメだ、と、とても勉強になりました。やり方によってはこのように敗者復活があり得るのなら、日本人的になんでも「これはもう決定なのだ」とすべての通達をクラく受け止めて悩みこむのは体に毒だとも思いました。私もほんと、まだまだですね〜。


結局ジャズも教えることになったので、それにあたって8月は毎週火曜日、バリー・ハリスのワークショップに通いました。バリーはこれを30年以上も前からやっていて、たまに日本でも出前ワークショップが開催されています。


(写真はバリーのウェブサイトから拝借)

バリーのジャズ理論は伝統ジャズの必須で、彼の教え方は楽譜を使わず、その場でみせたことをピアノの周りに集まっている生徒がひとりひとり弾いて行く、という方式です。昔の人はこうしてベテランからジャズを「見て聴いて」教わったんですね。今の時代は、ベテランミュージシャンが昔ほどもツアーをしなくなり、バンドに雇われて現場で巨匠からジャズを学びながら生計を立てる機会は激減しています。そのかわりにジャズの大学が氾濫し、同年代の天才が集まったグループが世界中のジャズフェスティバルに出ています。2010年代はそういう時代なのだと思います。ウィントン・マルサリスがリンカーンセンターでジャズをはじめてから、不良音楽のジャズは市民権を得たように思います。バリーのワークショップへ行く道すがら、アップタウンの66丁目を西にむかって歩いていると、ジュリアード音楽院を含むリンカーンセンターの勢いが感じられます。そこでは、ジャズが宣伝の一部として堂々とニューヨークフィルハーモニー(クラシック音楽)と同列に扱われています。サウナに行くと、黒人の女性が1人はいっているところへ白人のおばあちゃんが一瞬ためらって入っていく光景もすごいけども、この変化のはやさは、ある意味アメリカの良さでもあるように思います。

そうしてどんどん巷のジャズビジネスが変化しても、バリーは公民館で同じことを教え続けています。何よりも生徒が絶えません。それはなぜかというと、バリーの情熱と愛情が伝わるからでしょうね。そして、それが彼のピアノにも溢れています。バリーはショパンが好きで、エチュードも弾いているようです。あの時代の人はクラシックピアノをやったところで弾く場所もなく、好きな要素をうまくジャズに取り入れたのかな、と思います。実際、ショパンのピアノ曲やその奏法に通じることが多く、最近またショパンのエチュード数曲とバラードの4番をあらためてさらっています。火曜日に仕事がないときは、かならず行きたいワークショップです。

バリーに教わったことをそのまま教えることはまったく考えていませんが、ジャズをやる以上はきちんと消化し、私のはじめてのジャズピアノの師匠ケイ赤城氏から教わったモダンなアイディアや、ほかの私の好きな音楽スタイルと共にどう情報を整理し、一旦自分のものにして、そしてそれを出していけるか。それが演奏者としての課題であり楽しみでもあります。アーティストとしてたえず成熟し続け、コミュニケーション力も鍛えれば、私なりに良いレッスンができることでしょう。










日本は本当にたのしかった。忙しかったにも関わらず精神的にリラックスしたみたいで、ニューヨークに戻って来てからは体調を崩したせいもあり、元の生活ペースに2週間ほど戻れなかった。日本の食料品調達にこんなに不便で、シャンプー剤や服を買いに行っても髪質に合うものやサイズが限られ、すべてのサービスが悪く汚い街ニューヨークに、今までよく3年半も、たったの一度も不便を感じないで住めていたなあとあらためて思う。それだけ私は音楽に集中していたのだ。そしてすばらしい日本を後にしてこんな所にまた2年以上も住もうと思うには、それなりの理由がある。
ジャズだ。

私がなぜジャズ好きになったのかはよくわからないけども、ひとつ言えるのは、音楽、特にアメリカのジャズのエネルギーには「生きている」ことを感じさせられる。以前父が急逝したことに触れたが、人間の死を18才で意識した私には、もしかすると生にしがみついてしまう傾向が潜在的にあるのかもしれない。


私のニューヨーク(NY)でのジャズ生活にロイ・ハーグローヴは切って離せない存在だ。今でも彼は、私の中で音楽の神様のような存在だ。はじめて出会ったのは、今はもうないSweet Rhythmのジャムセッション。毎週木曜の夜11時から2時頃までやっていて、ツアーに出ていないときはロイは必ずここに来ていた。ピアニストがたくさんいると1曲しか弾けないことも多かったけど、NYに来たばかりの私にはミュージシャンと知り合うのにとても便利な場所で、ロイに関しては有名な人なのになんて気さくで親切な人だろうと思っていた。
ところが、私が学生生活や外国人生活を終えて一旦NYのお店で働きはじめると突然厳しくなった。基本的に、曲を知らない=お話にならない=つめたい空気になる。曲をその場で教えてくれる場合も2コーラス以内に覚えなければ見捨てられる。ピアニストにはすべての有名な曲の有名なイントロやエンディングを知っているように、有名なレコーディングの音源通りを覚えておくことも要求される。バンドメンバーのピアニストに対してはもっとハードルが高いので、Gerald Claytonはまだ30才にもなっていないのに、グラミー賞にノミネートされたアーティストとしてだけでなくサイドマンとしても優れたピアニストだと今さらながら尊敬する。

Zinc Barでは飛び入り演奏できるが、飛び入る人がロバートグラスパーとか、ジェラルド、ヘレンサン、エリックルイスなど、キャリアのあるミュージシャンばかりなのできびきびした空気がある。誰と演奏してもロイの演奏はすごいけども、キャリアの高い人達と演奏するロイは一際凄く、とてもたのしそうだ。SmallsやZinc Barには私はチャージなしで入れてもらえるので、ドリンク代だけでロイの音楽を聴いて、一緒に演奏して音楽を教えてもらえる。日本に居た頃から考えると夢のような話だが、現実にそういうことがいつでもあると「ローマは1日にして成らず」を痛感してつらい。以前Zinc Barでロイの前で私が知らなかったバラード(→ものすごく悪い思い出の曲)を、1年半も経った先日、同じZinc Barで「この曲弾ける?このキー(調)で」と同じキーでコールされた。さらっていたので弾けてほっとしたがあまりの同じ状況に「まさか偶然やんね?」とふと思った。世界中をツアーして毎晩いろんな人と演奏しているのに、いちいちある晩ある店で私が知らなかった曲(知らなかった曲はほかの店でも彼にたくさん露呈している)を覚えていたとしたら、神がかった記憶だ。
ところがダントンに「それはわざとだ。ロイは音楽に関することは何でもよく覚えているんだ」と言われた。そんなあほな!!しかしウィリーの答えも同じだった。しかもちょっと「お気の毒に」的な「後輩よ、そういうことはよくあるから修羅場をがんばってくぐっていけよ。これはまだまだ試練の基本編だよ」的な空気を感じた。

今の時点で彼から教わった曲は軽く70曲は超えている。曲を1, 2回を聴いただけでピアノで何もかも示せるほどサウンドを明確に覚えられるロイの脳内iTunesに、今からどんなに練習しても一生かかったって近付くわけがない。ロイはスーパースターの自覚はあるようだが天才という自覚がまるでない。だから1回聴いただけで完璧に曲を覚えられないピアニスト達のことを「謙虚さと努力がたりない」と思っている。「ジャズを演奏しています」という限りはそれくらい覚悟して研究してからかかって来い!! というところだろう。まあ、そうなんですけども。。。
私のCD「Beyond Intersection」で演奏してくれているアントニオもウィリーもダントンも、偶然それぞれ別々の時期にロイのバンドメンバーとして世界中をツアーをしてきた。彼らはロイの才能をとても尊敬している。そして結局のところ、私もロイを尊敬しとても感謝している(だからCDのThanksに名前を載せたのです)。そうならざるを得ないくらい、彼は音楽に対してエゴや言い訳がなく、いつ誰とどこで演奏しても、神がかった演奏を聴かせてくれる。そういう彼の音楽への愛と姿勢が、人気の秘密なのだと思う。


ロイ・ハーグロヴさま。
これから先生きているあいだに、あなたの脳内iTunesリストの1曲でも多くを消化できるよう、私にできることをがんばります。でも生きているうちに全部消化するのはとても無理そうなので、今自分がもっているものを大事にして、自分のオリジナル曲も併行して作っていこうと思います。



2009年1月 @Sweet Rhythm



2009年10月 @Fat Cat

いつどの瞬間を不意に撮られてもスターのロイ。やっぱり普段からピシっとせなあかんな〜。それが音楽にもでるんやな〜と、この写真をみて思った。






(注釈:2010年6月30日のデビューCD日本国内での販売にあたり、当時D-Musikaレーベルに所属しておられた水野悠さんが、CDの日本語解説として下記をご執筆下さいました。)


『「今です、今!!毎日、100%ジャズのために生きている私。」
(08年08月たなかさんのブログより)

本作はこんな熱く、前向きな気持ちでジャズの最前線NYで活躍するピアニスト、たなかかつこさんの1stリーダー作である。

メンバーはL.A.時代からの友人Danton Boller(b)、Willie Jones Ⅲ(ds)、そしてゲストで1曲Antonio Hart(as)という、素晴らしく豪華な面々である。実はトリオとしては録音前のリサイタル1回と本作の録音、Antonioを加えたカルテットは、初の組み合わせでありながら、リハ+2テイクのみながら、Danton、Willieとは何とたなかさんが「ほぼ英語が話せなかった頃からの長い付き合い」というまさしく盟友、Antonioは2008年から在籍したクイーンズ大学院での恩師と、同じコンセプトを共有できており、遠慮のない4人ならではな、レギュラーグループのような演奏を聴かせてくれる。

そんな中、もちろん、クラシックを出自にもつたなかさんのピアノは、しなやかにうたい、的確なタッチで、特に和音のバランスの良い鳴らし方と展開は特筆モノ。とても楽しませてくれる。
ではそういった技術が魅力の要因だろうか?答えは当然ちがう。

なんといっても本作の最大の魅力はオリジナル曲を主軸とした「音楽」そのものだろう。

ここに主役としてあるのは「豪華なプレーヤー達」でも「技術の饗宴」でもなく、5曲のオリジナルとスタンダード1曲、オスカー・ピーターソンそしてジョン・ヒックス作曲の2曲(それぞれ初演は64年「Canadiana Suite」(LIMELIGHT)、79年「After The Morning」(WEST54 未CD化))によって構成された、まさしくたなかさんが表現することを求め続けた「音楽」だろう。

冒頭でも引用させていただいた、たなかさんのブログを読むと、クラシックからジャズへと転向し、必死に前を向き、L.A.から帰国後の日本で、そして現在の拠点であるNYでの研鑽が、非常にさわやかな文章で書かれている(このCDを手に取ったみなさま、必読ですよ)。
その中で作曲に関してこんな記述がある。
2006年7月のブログより
「これまで引っ越しが多かったせいか私は土地の印象に敏感で、(中略)東京時代には目白通り沿いの早朝「Dawn」を描いて、ライブでも演奏している。」
疾走感溢れる本作のオープナー「Dawn」の誕生秘話なのだが、各曲のそれぞれ個性際立つ作りにはこういった背景も大きく影響しているのだろう。
L.A.時代にメンバーのDantonの曲に影響されたという2曲目「Shell」も華麗な美しさと優雅なテーマ、その世界を受け継ぐ物語性のあるソロが聴けるワルツの佳曲である。
柔らかに紡がれる会話、ゆるやかに流れる時間を感じさせる4曲目「A Midnight Talk」。雰囲気は一変してゲストのAntonio Hart(as)が縦横無尽に駆け巡り、たなかさんの切れ味冴えるコンピング~ソロ、華麗に倍テンするリズムからソロまでWillieも名人芸と呼ぶに相応しいドラムを聴かせてくれる5曲目「Stretching」。活動の拠点を日本~L.A.~日本(東京~大阪)~NYへと移すたびに経験しためぐり合いや別れを交差点に例えた美しい5拍子のタイトルトラックの6曲目「Beyond The Intersection」。
オリジナルだけでなく、原曲の旋律から呼吸まで大切に解釈された”小麦の国”を意味するO・ピーターソン作の3曲目「Wheatland」、作曲者J・ヒックス自身も何度も録音し、没後にはトリビュート作にも収録された名曲「After The Morning」の胸を締め付けるような情熱の迸り、そして8曲目の有名スタンダード「It Could Happen To You」の愛らしい表現。カヴァー曲も素晴らしい出来栄えである。

そして、数々興味深い言葉が記されたブログの中から、たなかさんの原動力ともいえる記述を引用させていただきたい。
2006年10月のブログより
「クラシックピアノ奏者だった私にとって、有名な曲も自作の曲も「自分らしい」表現をしているjazz musicianは、自分らしい生き方をしている、それは自由で楽しくエネルギッシュなことをやってる人達に見えた。周囲を見ると、jazz musicianとして成長する速度とその人の音楽に対する愛情の深さ、artistとしての成熟度と愛情を注ぎ続けた時間は、それぞれ比例するんじゃないかと最近感じる。」
この文中の「愛情を注ぎ続けた時間」は、きっといまでは「愛情を注ぎ続けた時間の密度」と、たなかさんの心の中では変わっているのではないだろうか。

一期一会の瞬間だけではなく、深い愛情でじっくりと熟成され、自由な表現と高いエネルギーの流れを持ってこのときを迎えた、たなかさんの「音楽」がここにある。』





左から, Danton Boller(ダントン・ボラー), Willie Jones III(ウィリー・ジョーンズ III), たなかかつこ, Antonio Hart(アントニオ・ハート)
2009/12/16 ニューヨーク, ブルックリンにて
(Photo by Yoko Matsumoto)











6/21に関空到着後、3週間の日本滞在を終えて、昨日の夕方やっとマンハッタンの自宅に戻りました。
帰国中はたくさんの方々にライブハウスにお越し頂き、本当にありがとうございました!!

少しずつしかお話もできませんでしたが、学生時代の懐かしい友人達から、渡米前に昼間社内翻訳・通訳者として数々の派遣先で一緒に働いてきた方々、家族やその親しい友人達、一緒に演奏していたミュージシャン仲間やCD発売の際にお世話になった方々、渡米前からライブに来てくださっている方々など、本当にたくさんの人と一堂に再会できました。また東京では、昔からの熱心なジャズファンで今回私を新しく知って下さった方々ともたくさんお会いでき、とても有意義で充実した日本滞在でした。Geneや安ヵ川さん、萬くん、Larryさんとの共演は初日が初顔合わせにも関わらずとてもたのしく、私を一段階上に押し上げてくれた感じがします。この先のニューヨークでの演奏活動に確実に拍車をかける経験となりました。

完全に日本を満喫できました。思うに、NYでは慢性的に「ナメられてはいけない」という気が漲っています。簡単に人の弱みにつけ込む人が多いこの街ではいつも警戒が必要で、最近は知らない間に自分のプレゼンテーション方法をいつもアメリカ式に置き換えて考えている感じがします。たとえばきのう、JFK空港から帰りのタクシーに乗ってやっと家に辿り着き、クレジットカードで料金を払おうとしたところ「精算メータが故障したみたいで精算料金が出せない」というタクシーの運ちゃんの寸劇に数10分つきあわされました。約12時間のフライト、空港到着後は移民局審査のため長蛇の列に並ぶこと2時間半、そして疲れてやっと家に着いたのに、タクシーの精算メータがこわれてる??帰ってルームメイトにその話をすると「ああ。カードだとピンハネできないから、故障を装って現金払いをさせる運転手はいっぱいいるらしいよ。『私は銀行口座にお金が一銭も入ってないから、キャッシュカードで現金を引き出せない。カードでしか払えないんだけど』と言ったら、瞬時にその機器はなおるはずさ」と言われました。
はあ〜、そうやった!自分の取り分$$$中心の街ニューヨーク!カスタマーサービスがナンバーワンの国日本から戻ったばかりの私はすっかり寸劇を信じて現金払いの上、気の毒に思ってチップもはずんでしまった次第です。はやくNYモードに切り替えなアカンな〜。

体によさげな美味しいものをたくさん食べて、家族や友人にすっかり甘え、いろんな方達と前向きなコミュニケーションを堪能した後なので、さっぱりと洗濯されたように自分の中の良い部分だけが残っているワタシです。残り2年4ヶ月のアーティストビザ有効期間中、私の精神はまだまだこのNYでも持ちこたえられそうです。
今の日本はとても疲れているから私はさぞかし浮くのだろうと予測していましたが、意外と逆で、振り返ってみると老若男女職種を問わず新しいことやエネルギーを求めている人達にたくさんお会いできたように思います。


都合をつけてお越し下さった皆様、本当にありがとうございました。日本には終電があるので充分にお話できなかった方もいらっしゃるかと思いますが、どうぞkatsukomusic@gmail.comまでコメントをお寄せください。

今後も応援をどうぞよろしくお願い致します!!


たなかかつこ


以下ライブレポートです。



Design: 渥美淑子




@吉祥寺 SOMETIME たなかかつこTRIO with 安ヵ川大樹 and GENE JACKSON
on Friday 7/1/2011

Photo by 白根勲

はじめての東京でのリーダーライブ。はじめてのメンバー。リハーサルをする日がなかったのではやめにお店にはいってさらっと各曲のサワリだけやってすぐ本番。


震災後にも関わらず1セット目からたくさんの方々にお越しいただきとてもうれしかったです。サムタイムは2階や半地下席、ピアノの真後ろにも席があり、お料理も美味しいステキな老舗のお店でした。CD店DISK UNIONジャズ館がすぐ裏にあり、昔から日本のジャズを支えている吉祥寺がとても好きになりました。




思いっきり関西弁でしゃべってます。


Gene Jackson! やっぱりね!
どの曲もはじめてのはずなのに魔法のように次々音楽が展開していきました。隙が全っ然ないですね〜!


On bass, 安ヵ川大樹


「やっぱり安さんのベースって、すごいわ〜」と伴奏しながら思っていた私です。


とってもたのしかったトリオ初日でした。


@池袋 APPLE JUMP CAFE たなかかつこTRIO on Saturday 7/2/2011
Photo by 白根勲

翌日Apple Jumpも満員で大盛況でした。熱心なジャズファンや生活に前向きなエネルギーを求めている東京在住の方々、また遠く名古屋からわざわざこの日のために来て頂いた方々に囲まれ、MCもとてもリラックスしてたのしかったです。ピアニスト西山瞳ちゃんやジャズ・ジャーナリストの杉田宏樹さん、ボーカルの大木理沙さんともお話ができてうれしかったです。オーナーの関さん、ありがとうございました。
ここでは演奏中の撮影はできないので終わってから。私の服装の歪みをまったく確認せず、、、でも充実感あふれた感じが出てますよね?ね?
From the left, Gene Jackson, Katsuko Tanaka, Daiki Yasukagawa.



@池袋 P'S BAR, 若林美佐trio with 矢野眞道
on Thursday 6/30/2011

Photo by 白根勲

東京滞在は3日間で、初日は若林美佐ちゃんがボーカルの矢野眞道さんと関西でよく一緒に演奏していた同士としてブッキングしてくれました。新幹線で東京に到着後すぐみさちゃんと池袋のマルイで待ち合わせをしていたのですが、東口に出てしまってマルイに辿り着くまでに相当時間がかかりました。おそるべし池袋。


On bass, 若林美佐!


いぶし銀ピアニスト伊原康二氏が遊びに来てくれていて2曲演奏してもらいました。


マルイまでは迷ったもののライブはたのしくてほっとしました。この後池袋の台湾料理で矢野さんがメンバーにご馳走してくれ、日米のちがいをいろいろ話したたのしい東京初日でした。




@西宮北口 CORNER POCKET たなかかつこトリオ with 萬恭隆 and Larry Marshall
on Sunday 7/3/2011

Photo by 吉田優子

東京から新幹線で大阪に戻った日の夜は関西のトリオメンバーとのリーダーライブ。こちらもスケジュールが合わず初顔合わせなのではやめに入ってリハーサルのパターン。いつも親しんだお店だからかプレッシャーはありません。


On drums, Larry Marshall from フィラデルフィア!今は天六に住むとても繊細なアメリカ人です。


お店のママと萬恭隆くんと。(Photo by Hikari-chan)
マスターが亡くなったあと、しっかりと4年間コーナーポケットを守ってくださってありがとうございます。New Yorkで数多くのすばらしいベースと共演した今も、萬くんのスゴさをあらためて再確認できました。


@難波 TAKE 5 たなかかつこトリオ with 萬恭隆 and Larry Marshall
on Friday 7/8/2011


ミナミは地元とあって会場は満席、マスターが楽屋から予備椅子を持ち出すほどでした。地元の皆様お忙しい中駆けつけて頂いて本当にありがとうございました。そしてマスター&奥様、いつもながら熱いご協力と応援をありがとうございます!
From the left, Yasutaka Yorozu, Katsuko Tanaka, Larry Marshall




@難波B-Roxy with 河村英樹、臼井優子、たなかかつこ, and 木村知之
on Saturday 7/9/2011

Photo by 田井むつみ

最後のライブはジャズ科ができる前の大音大時代のメンバーと。上辺のジャズではなく音楽の基礎や探究の姿勢がちゃんとしてる人達だと改めて感じた次第です。チャーリー(河村英樹)、、、ジャズしとったなあ〜ロイ(・ハーグロヴ)が聴いたらすごく演奏気に入るやろうなあ!ライブに来てくれたピアノ科同期のむつみちゃんが最後にすてきな写真を撮ってくれました。



以上、写真を撮影してくれたりフライヤー作成をしてくれた方々、また写真がないライブで今回共演頂いたミュージシャンの皆さん、ありがとうございました。
次の帰国予定はまだ未定ですが決まり次第このブログでご報告します。
それまでどうかみなさんお元気で! またお会いしましょう!!


たなかかつこ♪


下記にて入手が可能です!


ネット販売(日本全国)と店頭販売(関東圏)
• DISK UNION
• TOWER RECORDS(店頭販売は関東圏のみ)
• HMV (店頭販売は関東圏のみ)
• AMAZON
• CATFISH RECORDS


2010年6月30日全国発売(販売元:Disk Union Jazz)
●DUJ-070 (品番)
●2000円(消費税込み)

試聴はコチラでどうぞ。


よろしくお願いします!!