家の前の公園。五月晴れ。

確定申告(アメリカではTax Returnと呼んでいる)も終わった。どっちみち払わないといけないもの、済ませないといけない事務はなんでもさっさと片付けよう!というのが、今後の方針です。

長いこと仕事が忙しく最近はなかなか夜ライブを見に行くことがなかった。友達のライブ以外では思い出すところで、2月のMulgrew Miller Wingspan, 12月のChristian McBrideバンド, Cedar Waltonバンドだけ。これも知り合いが出ているから誘ってもらった。

ベースのReuben Rodgersをチェックしに先週末Smallsに久々に行った。満員になると思ったので、前のバンドが演奏している時間帯(10時頃)行くともうすでに10時半からのショーのために並んでいた。Smallsでは、演奏に行くミュージシャン達はFamilyの一員とみなしていつも無料で入れてくれる。その日も、とても混んでいるにも関わらずオーナーが君は並ばないでいいから今入りなさいと言ってくれ、はやめにクラブに入る事ができた。案の定、10時半からのセットも12時半(夜中ですよ)の2回目のセットも超満員で立ち見する場所もなく消防法違反になるので人をそれ以上入れる事はできなかったようだ。そんなに人気でも私達ミュージシャンには無料で鑑賞させてくれ、一般のお客さんへのチャージもいつもと同じ20ドルより値上げもせず(しかも前のバンドとあとのバンド、合計3バンドで20ドル)、このお金に厚かましいニューヨークでなんというジャズに情熱のある店だろうと思った。このブログでも何度も言うが、私がニューヨークに来てから覚えたたくさんのスタンダードは、このSmallsかZinc Barでロイ・ハーグロフとジャムセッションをして覚えた曲だ。覚え方や理解の仕方も、ロイやそこで知り合ったいろんなミュージシャン達と演奏の後に話したことを全部ためしてみて何度も「できた」「できなかった」と手応えを演奏した時にひとつひとつ実感していくことで時間をかけて自分に合う効果的な練習の仕方を編み出した。私にとってはSmallsやZinc Bar, Fat Catは昼間通っていたクイーンズカレッジ大学院と同じくらい価値のある「学校」だ。

バンドはサックスのジミー・グリーンさんのバンドで、ベースがReuben Rodgers, ドラムがGreg Hutchinson, ピアノがXavier Davisという、ジミーさんが数年前にこのSmallsでのライブをCD化して発売しているものがあるメンバーだった。とても熱気に溢れたバンドだった。
ジミーさんは、たしか30台で、結婚して2人お子さんが居たのだが、記憶に新しいコネチカット州の小学校での銃撃事件で子供さんが犠牲者となり亡くされた。MCのときに、家族はまだ完全にその苦しみから立ち直れていないが、このメンバーとまた音楽を演奏できる幸せと聴いてくれるすばらしい観客が居ること、そしてお店に感謝の意を述べておられた。よく「私があなたに何をできるでしょうか?」とたくさんの人に言って頂くが、僕が思うに、こういった犯罪をなくすためにはとてもシンプルなこと、それは人を愛することだと言っていた。今となりの人が自分の肘に当たってうっとおしいと思っても、レジで長蛇の列に並んでいてお金を払っている人が小銭を探していても、イライラせず、にっこり笑って好きになること、と、冗談まじりに言っていた。「憎む」という連鎖をなくす、という意味だと思うが、なんと心の寛い人だと思った。まだベテランの年齢ではないのに人間の器の大きさやエネルギーが演奏に顕われている。

ニューヨークに居てすばらしいことのひとつはこういったエネルギーを感じれることだ。
ドラムのグレッグはすばらしかった。彼を観るのが目当てで来るお客さんもたくさん居て、グレッグが出る日はいつもSmallsは満員になり入れない人がでる。ジミーさんが一番最後の曲で、地元のコネチカットで教えていた生徒だったドラマーに1曲チャンスを与えてバンドで演奏することになった(こういうのをSit Inといいます)。派手ですばらしいグレッグのあとに叩いたこの無名のドラマー、とてもすばらしかった。んー、、、べつにグレッグじゃなくてもこの人でもこのバンドはいいのでは?という空気が過るほど。こういうのが、ニューヨークだなあと思う。まあグレッグの人気は格別で位置は不動だけど。前にもトランペットの人でそういうことがSmallsであり、あれ?このバンドのトランペットにはこの人しかないと思ってたけど、こっちの人の方がむしろいいのでは?という空気がバンド内にも過っていたときに、その日そのギグができなかったレギュラートランペットの人がそのライブを観に来て、1曲バンドスタンドの真横、ソロをとっているその日の代理トランペットの人の視界に入るところでじーっとソロを凝視し、ソロが終わったあと2言3言彼と話をして彼女とさっさと帰って行った。猛練習して出直してくること間違いなしだと思う。そしてみんな、明日は我が身と解っている。一晩で仕事を失ったり得たりするようなことがいつもあるあの空気、厳しさ、ってすごい、と改めて思う。そういう伝説は聞いた事があるが「これか〜」と思う。ニューヨークには才能があって上手い人はあまりにたくさん居過ぎる。練習してもしても演奏できるチャンスはとても少ないし、高いギャラのクラスに登りつめた人達もそこへ行くまで演奏以外にもいろんな試練がある。同じ仕事ではギャラはかわらないかむしろ減ったりバジェットカットで仕事そのものがなくなる上、家賃は高いし毎年無条件に20ドルずつ上がって行く。MTA(地下鉄)だって私が来た2008年はたしか78ドルくらいだったのに今はもう112ドルだ。それでもニューヨークで切磋琢磨して演奏に賭けている私達クレイジーなまでにジャズを愛するミュージシャンをファミリーと思い、いつも無料でクラブに入れてくれるSmallsやZinc Bar。「ニューヨークにもPricelessな情のあるええとこあるやん」って思う数少ない事の1つです。

そういえば昔ジャズピアノをはじめたい、とケイ赤城師匠にレッスンを申し込んだときに、ジャズミュージシャンになるというのはそれに賭ける努力の見返りがあまりに少ないがそれでもやりたいか問われた。今考えてみたら始めてないときにはそれがどういう意味をもつかさっぱり分からなかった。

私がニューヨークに来た2008年にはジャズ界でWillie Jones IIIを知らない人はもういなかった。15年程前ロスアンジェルスで知り合った頃のウィリーはまったく無名の地元の若手で、当時マイルスバンドを卒業したばかりのケイ赤城さんがアコースティックのバンドをはじめたときのドラムに抜擢されていた。ケイさんのバンドでリック・マルゲリッツァと故チャールス・ファンバローと一緒に演奏しているウィリーをみてこんなに若いのにケイさんのバンドでこんな演奏ができる人がいるのか、と感心していた。その後彼はニューヨークに引っ越して無名の頃にSit Inのチャンスがある度に華々しく実力を発揮し続け場を湧かせてきたにちがいない。観たかったなあと悔しく思う。
でもできあがったウィリーと演奏できる私は本当にとてもラッキー。今年は8月28日(水)にミッドタウンのキタノホテルにあるJazz at the Kitanoにてウィリー・ジョーンズ・IIIとドゥエイン・バーノとでピアノトリオをやります。詳細はまたご報告します。



部屋から見える公園は11月から3月までずっと枯れ木の景色だったのに、本当に4月の間にどんどん葉がついてきて緑が眩しくなりました。

4月1週目、はじめて木に葉がついた日。

4月2週目

4月3週目

4月4週目。この次の週は雨がよく降ったので一気に緑が多くなった気がします。

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ニューヨークでは先週はまだ粉雪が舞っていました。今住んでいるアパートを見にきた去年の4月末は部屋の前のプロスペクト公園の新緑が眩しかったので、今は枯れ木の窓からの景色があと1ヶ月でああなるのかと思うとすこし不思議です。

今日は働いて3年に学校でひとつ交渉事がおわり、ようやく請求どおりのギャラが支払われることになりほっとしています。こういう交渉は今年にはいってもう2度目。日本での就業環境がよほど良かったのか、それとも私が平和ボケしているのか、、、。この学校では約2年前に、お金の不正があったという理由で大規模なリストラが開始されました。が、それ以降も学歴や職歴、経験、成績にまったく関係なく「この人はいろいろ言ってくる」「この人はやさしそうだからつけ込める」という基準で賃金や条件等に格差をつけていることが先月同僚達の間で判明。
うーーん。。。
そういうの、ジャズミュージシャンの業界ではよくある話ですけど、教育機関でもそういうことをするのか、、、。
と、正直、がっかり。
そういうアバウトなことをしていると当然良い先生達は辞めて行き、この音楽学校の特色だったその辺の音楽学校にはない素晴らしい教育プログラムが成り立たなくなるのも時間の問題です。でもニューヨークは仕事を探している人で溢れているのでどんなに賃金が低くても働いてくれる人は見つかる、という新経営者の計算でしょう。
うーーーん。。。
そういうの、ニューヨークのローカルジャズクラブではよくある話ですけど、教育現場でもそうなのか。地域の黒人・ヒスパニック文化に長年貢献してきた歴史ある学校だけに、本当に残念です。


基本的なことですが、何の説明もなく勝手に契約額からお金を差し引いて小切手を渡されても困ってしまいます。その度にミーティングの予約を取り、訂正された金額を1〜2週間遅れでもらうのです。面倒くさいからもうもらわない人ももちろんいるし金額が異なることに気付いてない人もいるでしょう。学校側はそれを待っているのです。アメリカに住んで長い友人にきくと、普通の会社でも小さいところだとそういうこと(言わないと働いた分の給与小切手をくれない)はよくあるそうで、支払いが毎度遅れるのは困る、とメールすると、あなたのメールはぶしつけだと逆ギレされたそうです。そう、私も逆ギレされました。相手の悪意の程度を見破れないから置かれている状況が理解できず、正当な権利を主張するにも匙加減がさっぱりわからない。同僚達に、悪いのは100%相手だけども、まずは相手を怒らせない、そして問題の優先順位をきめて我慢強くそこに焦点を絞り、交渉してひとつずつ勝ち取ることが重要だよと言われました。仕事上同格で職能も経歴もかわらないのに弱い者ではないと印象付けるプレゼンができなければ、普通に働いた分のお金が支払われない常識なんて日本人の私にとっては本当に面倒くさい。しかしこれを面倒だと思ったらアメリカでは生きていけないし、ましてや賃金アップはこの上級編で自分から交渉しないと基本的にない、と言われました。はー、、まったくその通りですね。

この会話はヴィレッジのカフェでしていたのですが、そこで6ドル50セント分クレジットカードで(注:アメリカでは少額でもカードで買うことはよくあり署名をしないでそのまま引き落とす器械が多い)買うと、店員の打ち間違えで650ドルのチップが私のカードで引き落とされました。「これ、どういうこと?」というと「何が?」。レシートをみて「オーマイガッド!私何を押したのかしら?」とマネージャに報告。で、マネージャがしばらくオフィスにこもったあと「オーケー、あなたのカードをもう一度貸して」そして「はい、これあなたのレシート。ちゃんと返金したからね」と、なぜか「-550ドル」と入力したレシートだけをくれました。「え?そちらの間違えて入力した方のレシート、ちょっとみせて」「なんで?」「だってほら、打ち間違えは650ドルじゃない?なんで返金額は550ドルなの?」「オーマイガッド!!」そして「ほら! あとの100ドルも、返金処理したわ。これがレシートよ」

、、、、この国はそんなになんでもいちいちチェックしないとアカンのか??
この場合はもちろん相手側に悪意はないんだけど、お客に対するアイムソーリーの気持ちも全然ない。もっとコワそうな人に見えたらこういうトラブルには巻き込まれないのか?関西の母にこの話をすると「アンタ、そもうんなワケわからん国からさっさと引き揚げてはやく帰って来なさい!」と言われました(笑)。せめて学校では「この人、日本人女性でやさしそうだけど泣き寝入りしないうるさい人だ」と思われておいた方がいいかもしれません。そういえばいつもキリっとした文面で話し方に貫禄があるケイ赤城師匠のことを、今さら改めて意外なところで尊敬してしまいます。ニューヨークで音楽一本で生きて行くには、音楽の知識やピアノの技術だけではダメなんだなあ。私もがんばろう。はやく眩しい新緑の季節になってほしいです。


アメリカ生活をこれからはじめる皆さん。
お金にまつわる話で、以前スプリント社からまるめこまれて無駄に100ドルを払いそうになったこともあるので、それもあわせて読んでみてね!



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思いがけずお年賀メールのお返事をたくさん頂き、ありがとうございました!久しぶりにいろんな方の近況が聞けてとてもうれしかったです。ニューヨークの音楽界でブローが効いている毎日なので、そういうのもたまにはいいな。

中でも最もタイムスリップを感じた出来事は、高校の同期生とのつながり。昨年末に同窓会があったらしくフェイスブックでグループページができて写真やコメントを見ることができた。18才で音大に進んで以降今まで、いかに自分が音楽一辺倒だったのかを感じる。今自分がいる世界とはまるでちがう世界なのだけど、たしかに私のルーツなのだ。

アメリカには音楽専門の公立のアートハイスクールがたくさんあり、良いプログラムで学費も安い。そういう高校から本当にたくさんのすばらしいジャズミュージシャンが出て来る。高校時代から才能も時間もたっぷりあり、多くのアメリカのジャズ巨匠と会って若いときから一緒に演奏して才能溢れるたくさんの同級生達と毎日切磋琢磨している。ニューヨークに来てその現実を知ったとき「今さらもう何をどうがんばっても遅い。無駄だ」と人生計画のなさを痛感した。最近では日本にもジャズに力を入れる高校が出て来て、関西に居た頃はバンドメンバーにジャズバンドの強い甲南高校出身の子が沢山いたので「私も甲南高校に行って高校時代に毎日セッションをしたかった!」と言うと「かつこさん、、、。残念ですが甲南高校は男子校ですよ」と若手に注意された。

私は高校の頃はジャズはおろか洋楽を聴いたことがない。クラシックピアノを毎日3時間練習して実家から自転車で15分の地元の公立の進学校に通っていた。高校1年生の第一日目の自己紹介でクラスメートの何人かがもうすでに志望大学が居ておどろいた。「勉強をしている」ことを隠さず、よく遊びよく部活をし、陰湿さとか暗さがない校風だった。

もう相当な年なのに、フェイスブックのページをのぞくとみんな意外と若々しい。それぞれが今の生活を満喫し、エネルギーに満ちている。今どき、アメリカ人も日本人も老いも若きも含めてこんなにエネルギッシュな人達が一堂に集まっている場は少ないのではないか。ニューヨークのトップを長年張っているキャリア組くらいだ。たくさんのことを一度にこなしているのに全然無理がない感じ、威張らず、他人に気遣いができるところ、年の割にやたらと体力があるところも似ている。女性は独身、子供を育てながらキャリアを積んでいる人、シングルマザー、再婚などさまざまだが「やりたいことをやっている」自信と充実感に溢れている。世間でもまれてきた筈だが昔とかわらず純粋で悠々としている。そんな同級生の今の様子は私を元気づける。まちがいなく肉食系だがとても爽やかだ。人生の選択に自分が完全に責任を持っていれば、愚痴も妬みもなく前向きに生きて行けるのだろう。基本的にパートナーに頼らず自立している点も見逃せない。私のルーツがここにある共通点をみつけるとすれば、とりあえずエネルギーがあることと純粋なこと、そしてニューヨークで生きて行くに足りる気の強さだろうか。

音大へ進みクラシックピアノを専攻した時点でゼミだ就職だ大学院だという同級生と接点はなかった。私は一度も就職をして正社員になったことがなく、そのあとさらにクラシックもやめてジャズに変わったのだから、ジャズは本当に私にとって不思議な力がある。長いことどっぷりと音楽の世界に浸かってしまって気がつくとニューヨークにまで来て棲み付いてしまった。まるで夢をみているようだ。私の人生にはアートハイに行く選択肢はなかったが、ここで10代を過ごせたことは私の人生でとても貴重なうれしい出来事だと気付いた。最近は仕事でアートハイに行くこともある。ジュリアードやマンハッタン音楽院に行けるセンスと実力がある生徒は多いが卒業後プロになれる子は少ない。理由は明快だ。ニューヨークでプロになるには才能だけでなく、一線がプチっとキレたクレイジーさ、とてつもない忍耐強さ、そしてなんといっても、一生を賭けて音楽を勉強する覚悟がいる。前述のミュージシャン達は別にアートハイに行っても行かなくても、どっちみちプロとして開花する人達だったのだ。

今年はとても良い感じがする。次に皆さんに私のピアノを聴いて頂くときは、益々私の個性が揺るぎなくはっきりしていることは間違いない。乞うご期待!!



今日はブリザード明けで仕事がキャンセルだったので、うちのアパートの前にあるプロスペクト公園を歩いてみました。景観をおたのしみください♬♪♩ I Love Brooklyn!!





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新年、あけましておめでとうございます。

大晦日はブルックリンでのパーティに誘ってもらいました。アメリカではカウントダウンをして新年になるとその辺にいる人とキスをするらしく、私はあやうく見知らぬ白人の女の子にキスされそうになりました。新年早々それはないわ、、、逃げれてよかった。アメリカでは新年に「蛍の光」を歌うとのこと。でもなぜ新年?「蛍の光」はスコットランド民謡で「Auld Lang Syne」という題名で、その単語はどれも知らないので調べたところスコットランド語だそうです。「Old Long Time」という英訳が付いており、「普段思い出すこともない旧友や昔にあったことを思い出して一緒に杯を交わそう」という昔をなつかしむ意味の歌だそうです。ちなみにこの曲はMajor Pentatonic Scaleで構成されており、スコットランド民謡のほとんどはこのMajor Pentatonic Scaleで作られているそうですよ。以上、Wikipedeaからの情報です。

さて、今年は巳年ですね。
巳年といえば亡くなった父の干支、そして私は今年父が他界した年に達します。ピアニストとしてだけでなく人間としての成長も含めて、人生の折り返し地点というか、今までの自分に「よくがんばったね」と言いこれから先の人生を展望するような、卒業年度のような気持ちがあります。年末はゆっくり休めたせいか、今は音楽の聴こえ方が新鮮です。

このブログには毎年お正月に、まったくなんの計画もなく目処もたっていない「こうなったらいいなあ」という不確定なことを書いて、毎年その通りになってきたので、今年も願望のようなな決意を今のうちに書いておこうと思います。1つ目は、今年は音楽的には数年間もほったらかしになっていた特定のいくつかの課題(正確には大きすぎた課題)にさっさと着手して実際にステージの上で挑戦し、光がみえるような手応えを感じること。2つ目は、今年秋に切れるO-1ビザ(通称アーティストビザ)の後の身の振り方、再申請するかどうかをきめること。3つ目は、自分にも人にも素直でいること。この3つ目は、やってるようでいて、気が付いたら不純物がはいってきてしまい結構むずかしいんです。即興演奏をしているとよくわかるんですが、怖がらずに自分を信じて飛び込む、周りを聴いて体が動かしリラックスしてエネルギーを自分からいつでも出せる状態にしておく時が、一番おもしろい演奏になるんです。思いがけないアイディアが出て来てはそれが自然に膨らんでいく。安全な方に流されると音楽全体が行き詰まったり途中で切れたり仕切り直したりしなければならなくなり、流れなくなってしまう。普段の生活もそれに通じることは多々あるように思い、今年はいつもそういたいと思います。


今年もどうぞよろしくお願い致します。


たなかかつこ





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クリスマスですね〜。


お祭りムードでもあり多くのお店は休業しているためか、日本のお正月みたいです。
今年も一年、がんばったなー。
やり甲斐があり、充実感があり、先の可能性を常に感じることができる1年だった。



このあいだふと気付いたんですが、ニューヨークに来てから朝起きた時にたった一度も「今日は仕事に行くのが嫌だ」と思ったことがない。今日も仕事があることがうれしく、帰ってきたとき充実感を感じる。日本で貯金をするためにしていた社内通訳/翻訳の仕事もやり甲斐があった上に有給休暇と健康保険もあった(辞めてすぐNYに来たので失業保険はほとんどもらえなかったけど)。しかし音楽に割く自分の時間が減ってしまう。長い間ニューヨークで生活してみたいと思って音楽とは関係ない仕事もしてきたから、今の生活が有り難いのかもしれない。
ただ物事が予測できないためのストレスはまだ大きい。元々私は、朝早くの地方での演奏やキーボードの仕事など、近隣のマンハッタンの店で夜ピアノ演奏というのとは段取りがちがうと、現場に時間通りに着くかとか、ちゃんと良い音が出るかということが気になる。NYでは当日の数時間後に仕事を頼まれることもあり、やり繰り上手でスタンバイオッケーでいようとする緊張感も常にある。


"This hurricane costs me $$$$ in work. I am available for the gig. "
[私の訳:ハリケーンのために、トータルで十万単位の予定収入がフイになりました。あなたの手元に来たその演奏の仕事、請け負います。]と知人がフェイスブックに書いていたが、それはたくさんのフリーランスの人が思っただろう。
10月の末にハリケーンサンディーがニューヨーク周辺に上陸した。ハリケーン自体はたいしたことがなかったのに街が災害に備えられていないため被害が大きかった。マンハッタンのダウンタウン以南やニュージャージーは停電が最低でも5日以上続いた。地下鉄は全線復旧するまでに1週間もかかり、ニュージャージーへ仕事に行くときに使うパストレインは、2週間後に漸く一部開通した。先に一部開通したニュージャージーとを結ぶNJトランジットは通勤ラッシュの山手線を上回る混雑状態。満員電車に慣れていない乗客を駅員が整理することもなく、まるで映画の戦時中シーンのように駅では人々が目的の車両に向かって全力疾走して混乱し、ラッシュ時の運転は見合わせる事態になっていた。
地下鉄がとまるとブルックリンのガソリンスタンドからガソリンが消えて移動手段がなくなり、タクシーもつかまらくなった。バスは押し合いになってマナーのかけらもなく、乗れなかった人達を目当てに、業者でもない普通のバンが乗客を集めお金をとっていた。日本では何倍も大きい台風を経験しているのに、この程度のハリケーンで日常が機能しなくなるとは思いもしなかった。もしこれが世界の基準のマナー感覚に近いとすると、日本の良い部分は逆に脆い部分にもなり得る。
仕事に行けない日が数日続き、毎月の生活費(家賃、光熱費)は普通にかかってくるので、いつまで収入のない日が続くのかだんだん不安になってきた。6日目の土曜日から仕事が少しずつはじまったが、ダウンタウンは停電が続き、アップタウンで仕事があってもブルックリンからは直接地下鉄が出ていない。時間が読めないので早朝家を出て30分かけて2駅先のマンハッタン行きシャトルバス乗り場まで歩き、約1時間の列に並んで仕事に行った。押し合いになり、陽気なオバサンが「みんな急いでるんだから押さないで!!今日のMONEYを稼ぐ前に怪我するんじゃないわよ!」と言っていた。ほんとに日雇い労働者の気分だった。アップタウンに仕事の3時間前に着いてあたたかいベーコンエッグとハッシュポテトを食べて冷たくなった体を溶かしながら東北の震災の被害者は不安だったに違いない、と思った。翌週月曜は晴天で地下鉄は正常にもどった。ガソリンスタンドでは給油が3時間待ち、1店舗ごとに警官が配置された。

そこまでして仕事に行った私だが、その週水曜のニュージャージーでの仕事は代理も手配せずにキャンセルした。まだ秋なのに吹雪の天気予報で、また停電になってもしニュージャージーで足止めになったりするとデメリットの方が大きい。仕事は失いたくないので契約違反の申し出には勇気がいったが、その日は本当に予報通り吹雪になって仕事は当日午後3時にキャンセルとなった。NJトランジットも不通になった。もしもはやめに現場に行っていたら仕事もNYに帰る電車もないところだった。元々その日は2つの仕事が重なっていてどちらをキャンセルすべきかかなり迷っていたのに、結局はどちらの仕事も政府の通達でキャンセルになり、肩すかしをうけた。後日埋め合わせの仕事が設けられ、日程のやり繰りなどいろんなメールが来たが淡々と臨機応変にこなしていき、終わりはすべて良しとなった。

ニューヨークが長いミュージシャンの人たちはよく「先のことは分からないから心配しても仕方がない」という。なんと呑気なことを言うのか、と今までは思っていたが、今回のことで、私のもっている常識はあくまで日本での常識であって、アメリカではいろんなことが起こるから全体的に日本のように計画的に物事は進まないのだとわかった。その話を実家に電話したときに母にすると「あんたらの考え方はようわからんわ〜」と言っていた。まあ当たり前か。


学校でピアノを教え始めて1年以上になるがここでも予測できない事は多かった。シングルマザーの家庭はあまりに多く普通だが、別の先生に異母兄弟がレッスンに来ていて待ち合い室で母親同士が会うのでレッスン時間を替えてほしい、ということがあった。私の生徒の方はシングルマザー(母子家庭)で兄弟の方は両親と住んでおり、発表会の時は父親1人と母2人と兄弟の家族全員が一堂に会して家族はうまく機能している。そういう家庭環境の生徒が2人もいる。
他にもオーストラリア人(白人)とアフリカ人(黒人)の多言語家庭だとか、お母さんが2人の子育てをしながら医学部に通っているとか、黒髪直毛の南米系の老夫婦に引き取られ髪の手入れがうまくできないの黒人の生徒(友人にきいたところ子供でもブレードにするには1万円くらいかかるらしい)とか盛りだくさんだ。それぞれの家庭の事情を聞いて理解してコミュニケーションを進めていかなければ、わからないことは多い。はじめは「複雑な家庭環境を聞いては悪い」となんとなく思っていたけど、それは多様性に直面するのがこわかった(偏見がある)ということかな、と思う。偏見といえば、学校にはどこもゲイの男性教師が圧倒的に多い。それもはじめはとても驚いたが、そんなことを気にする雇い主も親も同僚も1人もおらず、逆に戸惑う意味がないことに気付く。今は新しく会う同僚を「あ〜、この人はストレートではないな」と察知しても、仕事とプライベートは関係ないのでまったくなんとも思わなくなってしまった。逆にジャズミュージシャンで「あ〜、この人は女癖悪そうだな」と察知しても、仕事とプライベートは関係ないのでテキトーにスルーできるようになってきた(前は頑なに無視していた)。
最近ではコネチカット州で20人以上もの小学生の命が奪われたというのに、銃が人を殺すのではなく人の心が人を殺すのだといって一般人にも銃所持に賛同する考え方が少なくないことに驚いている。


いまだに慣れないことが次から次へと出て来るが、ひとつひとつ順応していくことは自分の見方が広がってきてたのしい。ただ来年はあまり律儀に心配し過ぎたりほかのペースに振り回されないで、そして分からないことは聞く、そうやって臨機応変に引き続きニューヨークのフリーランス生活を続けていこうと思っています。



Merry Christmas!!











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秋ですね〜。

今のアパートはプロスペクト公園の真ん前で、窓から緑が見えます。夏は水を吸って緑が眩しかった樹々も葉の色を変え、差す光がやわらかくなりました。朝晩はひんやりとした空気が張りつめて冬の準備をはじめています。建物には暖房がはいり、帰ってくると部屋があたたかくてほっとします。1人暮らしをはじめて5ヶ月。今月も無事家賃が払えそうです。ニューヨークでは、ルームメイトと暮らす以外にミュージシャンはパートナーと同居して家賃を半分にする人が多い(あるいは、カップル1組とルームメイトで住んでもっと家賃を浮かす)のですが、幸か不幸か私には同居人となる人が居らず、幸か不幸か、1人暮らしです。


ピアノの生徒は20人、週に2回の伴奏に行っているクラスの生徒達もあわせると週にかるく40人以上の生徒達の進捗をみています。最近は演奏の仕事があまりなく帰りにいろんな人の演奏を観に寄って刺激を受けています。先日ピアニストのドナルド・ベガのライブ終盤でテーブル席で精算していると、ものすごい高速のブルースでもう最後のドラムとのトレードも終わろうという時、はい、ここからピアノ交替!と言われ、ああ、夜中にアイスクリーム食べて気ぃ抜いてる場合ちゃうなあ、と気が引き締まりました。そういえば、去年ロイさまのバンドをVillage Vanguardで観たとき、超高速のマイナーブルースがはじまってすぐリズムセクションがすでに崩壊寸前になり、ドラムの後ろでぼーーっとみていたグレッグ・ハッチンソンが「はい、ここからドラム、交替!」と突然当てられていました。完全に不意をつかれ1コーラス目は気後れ気味、2コーラス目は平常心、3コーラス目にはその華々しいスタイルでもう完全にバンドを引っ張っていきました。さすがグレッグ・ハッチンソン!ロイさまの思いつきのように見えるけども、大物になってきたグレッグに隙を与えないいつものロイさまの皮肉なお試しと、モンテス(・コールマン)がやるよりグレッグの方がこの曲は絶対盛り上がる、と踏んだんやろうな、と思いました。普段の練習と準備万端の実力、そしていつでも挑戦を受けて立つ前向きな気持ちでなければいけないのだなあ、と思いました。


休みの日は、たまーに機会が合うときに友達と食事やウィンドーショッピングに行きます。最近は、私のデビューCD「Beyond Intersection」のジャケットデザインをしてくれたデザイナーのひとみさんや、ロスアンジェルスに居た頃の友達で今はご主人の方がミッドタウンで板前をしている洋一くん&かよちゃん夫妻と息子のカイルくんと出掛けるのがたのしみです。センスの良いひとみさんにソーホーのいろんな素敵なショップやレストランを紹介してもらったり、アメリカ人のご主人と仲良く暮らしている様子をきかせてもらったり。かよちゃん夫妻には美味しいレストランや美術館に誘ってもらったり、アメリカ版ママ友バナシ、カイルくんの成長など、良い人達と音楽にまったく関係のない話ができる時間が新鮮です。

ニューヨークに引っ越して来て学生のときは家で練習しているか、学校に行っているか、夜中セッションに行っていて、2年経ったら大学院を卒業してオリジナル曲でCDを創って帰国するという具体的な予定がありました。アルバムジャケット制作でひとみさんに「どこかNYの自分の好きな場所で写真を撮って来たら?」と言われたとき、ジャズクラブと学校以外にはどこにも行ったことがなくて困ってしまったのを覚えています。

滞在を延長したものの卒業後の生活プランなどまったくなく、とりあえずO-1ビザ(アーティストビザ)の申請・取得、弁護士費用と生活費を捻出に必死になっているうちに3, 4年目は過ぎ去っていきました。ビザがなければ仕事ができないし、仕事があってもビザがなければ法的に働けないから、あとのことは後で考えよう、と思っていました。

で、もう5年目だし、がむしゃらな若い世代ではないし、ニューヨークでのフツーの生活の良さも味わいたいのです。家でジャズラジオ局WBGOを聴きながら料理していると、先日仕事帰りにニューアーク駅でバッタリお会いした、DJのロブ・クロッカーさんの声がきこえてきました。とても気さくでよく気が付く方で、WBGOのロゴ入りハーモニカをすっと手渡してくれました。来る前は底知れず幅広いと思っていたニューヨークのジャズの世界も、こうして少しずつせまくなってきました。

そろそろ行き当たりばったりな生活に終止符を打って、来年あたりから今後の具体的な目標や計画、予定を建てよう!と思っています。



p.s
ニューヨークのオンライン・ビューティーマガジン「Beauty New NYC」に私のことが掲載されました。よろしければ、Tweetボタン、いいね!ボタンを押して頂けるとうれしいです。

それにしても、ジャズ誌じゃなくて、女性向けビューティーマガジンかあ、、、、。ふ〜む。











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好きな曲を好きなメンバーとできる、っていいですねー。

オリジナル以外に、昔から好きだった曲でミルトン・ナシメントのDon Quixoteという曲をリハーサルの前日、すなわち本番の2日前の深夜に、YouTube音源からまったくこの通りにTranscribe(耳で音をとる)してフメンに起こしてもっていきました。きっとステイシーだとサウンドするだろうと思ったのです。デズロンはWillie Jones IIIやEric Reedのバンドで音楽の理解が深くフレキシブルな演奏をしてるのを見てお願いしたのですが、実際にやってみて想像以上にすばらしかった。この人は年齢に似合わないくらいよくジャズを知っている。ドラムは誰にしようか悩みましたが、ラッセルを選んで間違いなかったと思いました。

人生は短いので「やりたい」と思ったことはさっさと行動に移すべき、と思い立ったのです!!
リハの帰りの電車の中、マンハッタンブリッジをブルックリンに向かって渡るとき、録音を聴きながら「やっぱりこれ、フメンに起こして試してよかったなあ。想像以上にいいやん!」と、ブルックリン橋とダウンタウンの高層ビル群に架かる夕陽を眺めながら思いました。前日深夜に思い立って音源を採って、フィナーレに打ち込んでプリントアウトして持っていかなかったら、この演奏は実現しなかったのです。


週末は、Acme Undergroundというソーホーにある今最もお洒落なバー(俳優がよく来る店で、仕事をもらったときにとにかく良い服装で来るように3回くらい念を押された)で、トランペットのJosh EvansとベースのRyan Bergとでトリオの仕事がありました。若手管楽器として引っ張りだこのジョッシュは最近引っ越してロイのドラムだったモンテス・コールマンとルームメイトだそうで、元々すごいのに「最近僕は毎日毎晩24時間週7日ジャズを演奏してます」という音楽してました。

、、、ああ、やばい。。。
彼らと仕事ができてとてもたのしかったのに、手放しで喜ぶというよりもなんか、
すっごい落ちこぼれていく感じがする。。。
NYCの若手達に刺激を受け、益々練習に励まなければいけない新鮮な気持ちで立たされています。

それと同時に、もっともっといい曲を書いてもっとバンドで試したいなあ、、、。
そんな気持ちが沸々と湧いてきています。



8.22.2012 @Zinc Bar
左からたなかかつこ、デズロン・ダグラス、ステイシー・ディラード、ラッセル・カーター。



ジム(=水泳)をやめてちょうど3ヶ月目。服がやや窮屈になってきたとは思ってたけども、加速的に背中の筋肉は落ちていくなー、、、。








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いよいよ来週。。。。!!! (←クリックすると、お店のホームページへ)



よろしくお願いします!!










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夏です。暑いです。

この夏は7月から5週間、NJPAC(New Jersey Performing Arts Center)で夏期講習の伴奏者として働いています。月〜金、毎朝8時すぎに家を出て4時半にマンハッタンに戻ります。水曜夜と、土曜は朝からイーストハーレムの学校でピアノを教え、月曜夜はブルックリンで個人レッスン。週末は演奏の仕事。通勤時間と灼熱の太陽の下での徒歩がこたえます。それでも練習時間をなんとかみつけています。「今日を充実して過ごす」「その日のうちにできる限り学び、持ち越さない」ことで乗り切っています。でも7月にかたまってるだけで、8月は暇だからヤバいなあ。。。

ワールドトレードセンター駅で地下鉄からニュージャージーに向かってパストレインに乗り換える時「ああ、11年前のこの時間帯でここでたくさんの人が大惨事に遭ったのだなあ」と思います。私は2年NYに住んで卒業してCDをレコーディングし終えたら帰国するつもりだったのに、いつの間にかアーティストビザを取って毎日ニューヨークで働いて1人暮らしをしている。来年は父が他界した年齢に達するせいもあり、今生きているということ、今自分がやりたいことができているというのは、本当に幸せでありがたいことなのだ、と毎朝WTC跡地の横を早足で通り過ぎる時に思っています。

さて、次のリーダーライブ(Katsuko Tanaka Quartet)は8/22(水)7時からZinc Barにて。メンバーはStacy Dillard (Tenor and Soprano Saxophones), Dezron Douglas (Bass), Russell Carter (Drums)で今回もオリジナル曲を中心に演奏します!ニューヨークに来て、オリジナル曲でライブをするのはあまりに自己満足で気が退けていた時期があったのですが、ようやく抜けました。


月曜のZinc Barでのセッションはひとつ敷居が高い音楽レベルのムードがあり、ここで多くを学びました。世間話のついでにロイさまに「あなたにはどのように音楽が聴こえてるのか、と時々思う」という話をしたことがあります。店内で大音量で有名なマイルスデイビスの「'Round Midnight」のアルバムの、'Round Midnightがかかっていました。マイルスのテーマをしみじみ聴き入ったあと、コルトレーンのソロに入る直前に「これってフィリージョー?それともジミーコブ?」と突然真顔で聴かれた(またなんの抜き打ちテストやねん、、、)。あの有名なコルトレーンのソロにはいって「ああ。フィリージョーだ」と目をつぶって言うロイさま(=シンバルの音色を聴いたらわかる、ということ)。で、8小節目位でほんのちょっとだけドラムがfill入れるんですが、そこでぐっと体を一緒に落として「まちがいない!フィリージョーだ」と言っていました。これは今年の2月頃の会話で、その週ロイさまはそこ(Zinc Bar)から徒歩1分のブルーノートでディジー・ガレスピー・オールスターズのビッグバンドの指揮をはじめて任されていて、いつもとちがう音楽の聴き方をしていたようで、その日はやけにいろんな音楽の聴き方をあれこれと教えてくれました(というか喋りたかったみたい)。こういう話は、ちゃんと詳細を覚えておいて私が自分でやっているのかどうか、かなりあとになって不意に試されるんです、、、。

ロイさまが言ってることはおそらく天才が求めている大袈裟な話ではなく、ニューヨークでジャズをやってるというのなら誰でも知っておかないとダメな「ジャズの歴史」「勉強の仕方の常識」、そして、彼が編み出したその延長上の聴き方なのだろう、と最近は思えます。彼もニューヨークに来たばかりの頃に夜な夜なジャズクラブをはしごして若い頃に大御所から学んできたのでしょう。


NYに来た年は、ロイに次々と曲を教えてもらって次会った時にそれをロイと演奏できることがたのしくてうれしくてワクワクして仕方なかった。音楽の話をして、ジャズを勉強することがもう毎晩たのしみで仕方なかった。で、あまりの情報量の多さにわりとすぐにお腹いっぱいになり、消化が追い付かなくなったんです。
でも真っ直ぐに出来る限り精一杯ジャズに向き合っているならば、自分のペースでジャズの歴史を理解していきつつ、それと併行して、このニューヨークでニューヨークのミュージシャン達と自分の音楽を創って人に聴いてもらう、ということを、もっとやっていっていいんちゃうかな、、、?
いや、そうしていくべきでしょう!! 
、、、と、今年はやけに吹っ切れた気持ちになっています。

ベテランの前で「できない」という思いを何度もし、数々の曲をロイさまはじめいろんな人達と演奏して現場で学ぶ場所だったZinc Bar(その話の詳細はコチラ!)で、自分のバンドでオリジナル曲をやるというのはとても不思議な感じです。

8/22(水)7時から。ニューヨーク在住の皆様、旅行中の皆様、ぜひよろしくお願いします!!

ZINC BAR
82 West 3rd Street (between Thompson & Sullivan)
Greenwich Village
New York NY 10012
Tel. 212-477-ZINC (9462)



すばらしいロイさまの演奏のほんの一部↓↓








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リーダーライブはおかげさまで大盛況におわりました!!

はじめてのメンバーだったにも関わらずアットホームな気持ちで演奏ができたのは、普段あまりにいろんな場所にセッションに行ってロイさまやジーン・ジャクソンといったすばらしいミュージシャンと演奏できる機会があり、音楽に対する貢献や情熱の持ち方、心の持ち方やコントロールを普段から叩き込まれているからかな、と思いました。

それにしても、奥深いですよね〜
引き出しが多過ぎる。

今回は、フツーのスタンダード曲をたくさんやってみました。この人達はジャズのネイティブスピーカーみたいなものだから、一体どんな感じになるのかなあ?と思って。
ニューヨークに来てから同じ曲を何回も聴いたことがあるけども、リズムが、、、リズムが全くちがいました。McCoy Tynerの"Inception"のアレンジのSpeak Low...本物(のジャズ)みたい。。。Children Of The Night...本物みたい。。。Ceora...本物みたい。。。Stablemates....本物みたい。。。Jeannie....本物みたい。。。Driftin'...本物みたい。。。After The Morning...本物みたい。。。Body and Soul...ベースラインがもう宇宙を行ってて何がどうなってんのかさっぱり意味不明だけど必死で喰らいつく。。。。そんな感じでした。
オリジナル曲もとても好評でした。CDの中からA Midnight Talk, Shell, Beyond Intersection, Dawn, Stretchingなど、テナーやソプラノで吹いてもらってしっくり来る曲を選び、いつもと感じがちがってたのしかったです。


ライブに至るまで、ブッキングやスケジューリングにあたってアメリカの常識がよくわからなかったのですが、もう心配したり気を遣うことに疲れて終わりよければすべてよし、という結論に達しました。音楽への情熱、勉強熱心さ、技術と個性がずば抜けていて、どんな状況であってもまた一緒に演奏したいと思わせる演奏が本番で必ずできる、そしてどんなハプニングがあっても、100%毎回必ずバンドメンバーとお客さんを満足させる演奏ができる。だから彼らはこの競争の激しいニューヨークでもう何十年も、ジャズの演奏だけで生活ができているのだと思いました。

今回のカルテットは、各自の個性がぶつからず、うまーくハマってるんです。それがすごく面白いな、と思いました。ニューヨークのミュージシャンは言いたいことを我慢せずすぐになんでも言うので、血の気が多過ぎるダメな組み合わせはいっぱいあると思います。古くからの友人のウィリー以外は皆さん日常どのような生活観をもったどういう人なのか、今回のリハーサルまでプライベートはほとんど知らなかったので気を遣うこともありましたが、それはまったくの杞憂に終わりました。キャラが濃く(ほんまに濃いんですよ、これが)、自分のペースや言いたいことやりたいことは譲らない。でも、その分やりたいことやりたくないことが明確で、とても懐が深くて温かくチャーミングで、信用できるすばらしい人達でした。
演奏の信頼感はどの道とても強かったので、とてもたのしく演奏できました。



Midtownのキタノホテルの1階に新しく改装した「Jazz At Kitano」。


英語のせいか、日本でのライブよりMCは簡潔に。。。


左からDwyane Burno (ドゥエイン・バーノ)、Katsuko Tanaka (たなかかつこ)、Willie Jones III (ウィリー・ジョーンズ・III)、Stacy Dillard (ステイシー・ディラード)。June 14th, 2012


またこのメンバーで演奏できるといいなあ。


今日レンタルピアノが届きました。
4月から今までは家にピアノがなく、学校で6時間ぶっ続けで教えたあと練習して帰ったり、サロンをお借りたりしていました。ピアノのためにニューヨークに来てるのに、家にピアノがない、ってつらかった。ピアノが家に来てやっとあたらしいアパートでの暮らしが落ち着きました。

今は次のプロジェクトに向けてあたらしい曲を書く気、満々です!!
今後の活動をまたこれからも応援してください!!









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